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一般的にフラメンコの世界で同じプロジェクトを分かち合うことにアルティスタ達が拒否感を感じているのは何故でしょう?
ちょうど、セビージャで参加した会議でそのテーマについてとことん話してきた。私はとてもしつこい、固着観念な人間だってことは皆知ってる。私には理解できないことなんだ。唯一考えられる理由は恐れと個人主義であり続けたいっていうことかな。誰も自分のアイデアを分かち合おうとしない…
アイデアは金じゃないんだから!!アイデアを盗まれるのは癪に障ることだけど、分かち合って一緒に働く人は信用できる人間を選んでやってるはずのことなんだから…
何か自分に与えてくれる人とね。私はイスラエル・ガルバンとも、エバ・ジェルバブエナとも一緒に働こうって話をしてる。2人ともオッケーだって言ってくれたし、音楽も考えてある。もちろん彼等もいろいろ語ってくれることだろうしね。いつかできるかどうかは分からない、予定も決めていないし、まあ、決めることではないけどね。エバと話したとき、彼女は全く怖くないって言ってた、私と一緒に仕事することに関してね。だけど彼女はものすごく忙しいスケジュールのせいで時間がない。いつかできればいいなって思ってるんだけど。私自身、自分に飽きてる時期だから…

べレン・マジャ |
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ラフィとの仕事は出産同様だった。ソロの1つはカタルシス、衣装をちょっと脱ぐんだけど…
全部脱いだらフラメンコの世界で私を雇ってくれる人がいなくなっちゃうからね(笑)。どっちにしろ、大勢の人がスペクタクルのその場面に強い印象を受けたみたい。この音楽とこのアイデアで踊る必要を感じてたから、やってすっきりした。今何をやってるかって?
今はとっても幸せ、上機嫌、舞台でどうしても表現したいって思ってることもないし、発散しないと気がすまないようなこともない。今は新しい創作をする意欲がないんだ、まあ、ちょっと気になってることなんだけどね。外部から刺激を受けるのを待っている状態。ラフィと私の仕事の仕方は心の奥底に感じる、それぞれの問題や不安などをスペクタクルにするっていうかたち。もしかしたら今度は外から刺激を受けるべきかもしれないね。イスラエルとエバを呼んだのもそのせいなんだ。マイテとは何もやるつもり今のところはないし、私1人でも同じ。いつもは苦悩、困難、悲しみとかからの創作だから…
今は創作しようがない。幸せから踊れるかどうか知りたい、慣れていないから。
感情から以外、どこからインスピレーションを受けるんですか?
私は頭の中に浮かんでくるイメージを沢山集める。なんかやりたいなって思うとどんどん浮かんでくるんだ。スペクタクルの衣装は振り付けができる前に見えるよ。衣装の種類と色が見える、私はとっても視感的な人間だからね。“フラメンコ・デ・カマラ”のソレアは、白かグレーのバタを着た自分のイメージが浮かんできたから結果的にそうなった、パッと煌くイメージのせいでね。その後はアイデアを形付ける。音楽を聴けば動作やイメージが浮かんでくるし。映画や踊りなどを観にもしょっちゅう行ってる、フラメンコじゃなくてもね。そういった経験から新しいレフェレンスをいろいろ見出して自分の世界に持ち込もうとする、フラメンコにね。音楽は基本。例えば、近代舞踊の人たちのように音楽無しで働いたりするのは私には難しい。歌声、ギター、何かしら音楽を聴かないと…
だけど最近になって、音楽無しで働こうとしてるんだ。クラスで始めて、1人で練習するときに、動きそのものを探してる、音楽無しで動きが生まれるのね…
まあ、そんな感じで探ってる、難しいけど。
フラメンコだけではないですね…
“フエラ・デ・ロス・リミテス”でのバタのテーマはクラシックギター、アンドレス・セゴビア。その他にもニューヨークを拠点としてる“演劇‐サーカス”を披露する、デ・ラ・グアルダッテいうアルゼンチンのバンドのテーマが2曲。彼らの音楽はすごく野蛮で攻撃的。この3年間、クッションによくパンチしてたから、その攻撃性を表に出さないとって思ってたんだ。結局最後はタイ・ボクシングのクラスに入ってからラフィに言ったよ、あんたも私のように怒りを外に出さないといけないってね(笑)。
“マトリックス”のような演目がそれですか?
その通り。“ララとクロフト”。彼女がララで、私がクロフト。ボクシングのテクニックをこの演目に入れることにしたんだ。ものすごいカッコいいよ、アグレッシブで激しい感じ。怒りがこもってる。フラメンコには怒りが何か深いようなことに化けてる部分がある…
嘘ばっかし!!怒りだよ、ただ単にね。誰かを殺したいような気分、特に重要な理由があるわけでもない攻撃性。悲しい演目もあるし、バタのように優しい雰囲気の演目もある…
まあ、いろんなものが混じってるね。笑えるやつもあるよ、フラメンコではなかなか見れないことだね。そこら辺を探りたいんだけど、ラフィが彼女の舞踊団の関係で本当に忙しいから…
貴方にとって大切なレフェレンスの一人は、父親のマリオ・マジャですね。彼との関係はどのようなものなんですか?
すごい重さの影響だね。私はいつも彼からできるだけ離れようとしてきた、違った道を歩みたかったからね。違うバイラオーラになりたかったんだ。自分自身の言語を生み出したかった、彼に影響されずに。だけど後になって自分のルーツってものを自覚し始めるんだ、父さんと母さん(カルメン・モラ)のスタイルは自分のものなんだってね。とっても美しいことだよ、その出会いって。その時点から親との関係は大分落ち着いたよ。仕事に関してはあまり理解し合うことがないんだけどね、彼の仕事の仕方は私には気に入らないから。一方では尊敬したいって思う。彼の舞踊団の一員であるときは、自分のことだけをしっかりやって、他のことは気にしないようにするんだけど、私にとってはすごい大変なんだ。もう一方では物事に関して自分の考えがある。最近はかなり関係がよくなったよ、私が落ち着いてきたから。彼から私が学んだことは無意識で学んだと思う、意識してじゃなくてね。彼と勉強したことはないからそういったかたちで学んでない。かなり複雑な話なんだ。だけどやっぱり一緒に働くことには美しさがあるね。私は自分だけで成り立った人間だから、彼と同じように。しかも、私には誇りがある、彼にもあるようにね。二人ともとっても自由な人間だし…
だから理解し合えないんだ。私がやってることは気に入るみたいだけど、どうしてかを理解できないんだ。彼は、人は皆上手くできることに専念しなけりゃいけないって考えなんだ…
マイテも同じ。そういった人間に囲まれてるね。なんで新しい挑戦に取り組んで自分の限界を広げようとしたらいけないのか理解できない。皆私をどこに入れたらいいか分からないって言ってるけど…
ぜんぜん気にしてない、そんなことはどうでもいい。
リスクについてですが、現代のバイレフラメンコシーンの創作ぶりについて語ってください。
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べレン・マジャ |
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一人一人が島みたい。私なんかは孤立してる感じがするね。独自のスタイルを生み出した人たちの島々、それぞれが孤立していて複雑な世界。分かち合おうって言う意志もなければ時間もない。共通点を探したり、研究したり、新しいことをやったりしようっていう環境じゃないから皆孤立したまま。イスラエル、エバ、アンドレス・マリン、ラファエラ…
皆独自の道を歩んでる。自分の作品に専念してるだけ。補助金頼んでスペクタクル創るんだけど、サーキットがないから作品がなかなか熟しない、まあ、エバは例外だけどね。サーキットがないっていうのか、同じ人だけがそのサーキットにいるっていうのか…
はっきりしたことは分からないけど。補助金頼んで初演してお終いってだけにどんどんなってきてる。“古い”作品はしまって、毎年新しい作品創ってね。研究にもっと力入れたり、コラボレーションをもっと盛んにしたら、全てが豊かになると思うよ。
他の芸術からも孤立していると思いますか?
たまにプロジェクトを持ち出されるよ。例えば、この前のビエナルでは造形芸術の展覧会をやりたかったらしくて、アーチストがそれぞれバイラオールを呼んで、自分の作品のために振り付けを頼むって企画が提案されてた。私には彫刻家から電話がかかってきて、彼の作品を見せてくれた。すごい興味感じたよ、ものすごく気に入ったんだ。3人の女性の彫刻が天上からぶらさがってるやつで、結構インパクトが強かった。アイデアはその彫刻のスペースで私が踊って、録画した映像を展覧会で披露するってことだった。だけど最後は援助金もらえなかったから、アイデアの状態で終わっちゃったんだ。講演者としてはよく呼ばれる。本にしたいプロジェクトがあるんだ、私のバイレコースに参加する女の子達に答えてもらってるアンケートを集めた本を書くっていうやつ。世界中に教えに行くから、いろんな国の違いを見るのは面白いよ。例えば日本とブラジルの違いなんかね。新聞記者に全部集めてもらって、何故フラメンコを学んでいるのかっていうそれぞれの国のフラメンコファンの違った理由を集めた本にしたいんだ。本当に驚くべき現象だからね。
フラメンコ達の文学への接近については… フラメンコたちって本当に無教養だから、文学についての真面目な知識なんてほとんど誰にもない、基本的な知識さえね。読書が少ないし、関係のないことをちょこちょこ読んだり…
舞台に持っていく知識に欠けてる、文学的な面からしても、演劇の観点からも、誰も舞台監督や舞台背景について何も知らないからね。踊ることしか知らない人間が何で監督として働ける?
一番正直なのは助けてくれる人を呼ぶこと、自分の観点を分かち合えて、舞台にそのアイデアを持っていける知識のある人にね。フラメンコたちはいろんなテーマに興味を示す人間だよ、絵、音楽、詩…
だけど、舞台にそれをどうやって持っていったら良いかを知らない。イスラエル・ガルバンとペドロ・ロメーロの例はマイテと私との関係と同じように、ペドロは彼に最適な人間。“アレーナ”観たときは夢見てるようだったね。イスラエルはもうすでに個性的な独自の表現を生み出してるバイラオールだけど、このスペクタクルの舞台上での美しさには驚く。バイレはイスラエルだからもちろんすごい良いけど、彼のあれだけ“ヘビー”な振り付けは上手くバックアップされてないと何が何だかわけが分からなくなる。私もあんな人に出会わないかなあ…
まあ、いつか現れることを願ってる。
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flamencojapan@flamenco-world.com