カルロス・レンセーロ、作家/吟遊詩人.インタビュー
「“ソブレ・カマロン”は、アルティスタの観点から見た、
アルティスタの肖像画」
カルロス・サンチェス.セビージャ、2004年10月
カルロス・レンセーロ:詩人、語り手、吟遊詩人。わずか15歳で自立し、彼が生まれた町バダホスで、ヒターノが多く住む地区にある、プラサ・アルタに住んでいた。彼の家にはポリーナス・デ・バダホスのようなアルティスタが訪れていたそうだ。中庭でニーニョ・リカルドのギターを聴きながら眠ってしまったこともあるという。ヘレスのカンテについて調べる為にもらった奨学金が彼のプロとして初めての仕事。エル・モモ、フェルナンド・テレモート、エル・ボリーコ、モラオ、アグヘータス、パリージャといった人物が集まる、ヒターノ骨董のヘレスでの集会を16歳で訪ねた後はモロッコへ、アラブ音楽のフラメンコへの影響を探りに行き、最終的に10年間在住することとなった。セビージャに住もうと決めた理由は3つ、トゥリーナ、セルヌーダ、そしてフラメンコ。レコード産業のおかげで生き延びた。彼の世代のフラメンコ達の為に歌詞を書きながら、カマロン・デ・ラ・イスラの歌詞をも。病気の為、7年の間、仕事から遠ざかっていたが、今また、当時から大分変ったフラメンコの世界に戻ってきた。「教室に戻ってきたんだ」と言う彼の新作は“ソブレ・カマロン.ラ・レジェンダ・デル.カンタオール・ソリタリオ”(カマロンについて.孤独なカンタオールの伝説)。一人のアルティスタについて、もう一人のアルティスタが語る本。
カルロス・レンセーロ
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エンリケ・モンティエル、ホセ・マヌエル・ガンボア、ファウスティーノ・ヌーニェスといった作家が以前に取り扱ったテーマであるカマロンについて書こうと思ったのはなぜですか?
モンティエルの本 (“カマロン.ビダ・イ・ムエルテ・デル・カンテ”カンテの人生と死)も、ガンボアの本も良い作品だと思う。カマロンと同郷人だから、エンリケ・モンティエルはそのあたりの特有な風景についてよく知ってる、島の独特な気候についてね。それに、幼い頃からカマロンとは知り合い。だから、この環境にカマロンを位置するのには最適な人物なんだ。彼のそういった面での仕事を上回るのは難しいだろうね。ホセ・マヌエル・ガンボアとファウスティーノ・ヌーニェスの本(“カマロン.ビダ・イ・オブラ”カマロン.人生と作品)はフラメンコ・ファンだけではなく、音楽の好きな者の本棚には欠かせない作品だね。カマロンの人生については皆同じことを言う。彼の人生は二つの場面に分けられる。まずは、サンフェルナンドの島に生まれ、カンテの上手なヒターノとしてアンダルシア地方で聴かれ始めた後、マドリッドに訪れ、ルシアの家族と知り合いレコーディングし始めた人物。しかし、突然フェスティバルのプログラムには欠かせない人物になったんだ。もう一方では、親密なカマロンがいる。気軽に親しめ、一緒に夜遊びできるような人物。バンビーノとカマロンと一緒にすばらしい夜をすごしたもんだ。俺が書いたのは、このホセ・モンへ・クルスについて。その後、彼は隠したことの無い、皆が知ってる麻薬との問題が彼に大きな影響を与えた、孤立してしまったという意味でね。死人のような人間になってしまった。人とコミュニケートする能力をなくしてしまったんだ。昔の友達と関係を閉ざし、独りぼっちになってしまったんだ。森を買って、自分を見失ってしまった人物のストーリさ。だけど、この男は、ヒターノの歴史に名を残した人物なんだ。カマロンはカンテの神話さ。
それでは、カマロンについてではなくて、ホセ・モンへ・クルスについて書いたんですね?
俺はホセ・モンへに興味がある。机に座ってシエラ・デ・ウエルバの焼酎を味わいながら、なにげなく唄っていた人物にね。ただ、有名な出版社の本となると、元のアイデアを書き換えなければいけないときがあるんだ。最終的には、すでに存在し、ガンボアとヌーニェスの作品にしっかり載っている、カマロンの作品全集を記入しなければいけなくなった。もちろん、繰り返さずを得ないきまり文句もある、ホセもあまり雄弁ではなかったし、外交的に自分について話すような人物でもなかった。それに、彼の家族や親についてのテーマはタブーだった。難しい人物だったね、しょっちゅう透明人間のようだったから。
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カマロン・デ・ラ・イスラ |
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本の題名、“ソブレ・カマロン.ラ・レジェンダ・デル・カンタオール・ソリタリオ”について語ってください。
じっくり考えられたタイトルだと思う。孤独には2人とも興味を感じていた。孤独が厳しい顔を見せるとき彼は恐怖を感じてた、そういった状況が俺にはいつも力を与えることとなってたのと違ってね。ホセは道化じみた人物に囲まれてたけど、夜に寝るときには一人ぼっちだったんだ。麻薬を吸いつづけられるために寝ないって俺に言ってたね。その時の彼の状態がはっきり分かるコメントだと思う。
アルティスタとして、カマロンはどういった人物だったんでしょうか?
彼は天才。非常に優れた耳の持ち主。調律は完璧だった。彼は自分のナチュラル・トーンを自在に操れた、低く、高く、完璧にね。だけど、体の調子が問題になり始めた頃、“ジョ・ソイ・ヒターノ”の時期、には彼の全ての才能が害を受けてた。カマロンの声はとてもデリケートだったんだ、俺が言うように、壊れた天子の声さ。不可能な音階も完璧に唄いこなしてた。可能と不可能の間にある境界線を何気なく飛び越すことができたんだ。パコ・デ・ルシアのトーケもカマロンのカンテに多大な影響を及ぼした。もちろん、カマロンのカンテがパコのトーケに影響したのと同様。二人の間には親密なやり取りがあったんだ。パコのラスト・アルバム“コシータス・ブエナス”ではいなくなったカマロンに伴奏してる。ホセのようなカンタオールは二度と現れない。彼のようにきわどい人物、彼のようにヒターノを結合させる人物が現れるのには長い時期がたつことだろう。ホセは幼い頃からカンテを知り尽くしていた。彼の親父の鍛冶屋に当時のアルティスタ達が訪れていた頃から。上手かったカンテはブレリアス、アレグリアス、ソレア...
特に、コンパスから外れたカンテは、全然駄目なカンテという、フラメンコの基本法則を完璧に実行していた。カマロンのカンテはコンパスを乱したことが無い。
フラメンコにとって、ホセ・モンへの意味は?
復帰を意味したと思う。若者が、ヒターノも含めて、フラメンコの世界で起こる出来事に注目するようになったこと。ヒターノが住む地区にいって、アントニオ・マイレーナやアントニオ・チャコンは誰だったか聞くと、99%は何を答えていいか分からない。残る1%にこの人たちのカンテを唄ってくれって頼んでも、願いをかなえてくれる人はいないって言い切れるね、知らないといけない義務のあるプロでなければの話だけどね。その代わり、カマロンについて聞けば話が変る。彼が生まれていなければ、フラメンコは今のように成長してなかっただろうね。カマロンがパコと一緒に扉を開けたんだ。
カマロンはフラメンコの歴史の流れを変えたといえるんでしょうか?
そうだと思う。カマロン以前とカマロン後のフラメンコには明らかな違いがある。気をつけて見てみれば、ヒターノのアルティスタ達が世界中の音楽を聴くようになった状態にカマロン自身が参加している。ロックからブルースやジャズまで...
ヒターノはこういった音楽をフラメンコに取り入れていったんだ。そして、フラメンコの要素も他の音楽に取り入れられてる。例えばアルフレド・クラウス、アカデミックな音楽の世界で育ったにもかかわらず、フラメンコのミュージシャンの唄い方はすばらしいテクニックだっていつも言ってたし、とても頭のいい声の使い方だとも言ってた。
ホセ・モンへとはどういった関係だったんですか?
俺はカマロンの友人ではなかったんだ。彼の死後に、カマロンの友人で、彼については全て知ってるという人が何百人も現れた。俺はそういった人じゃない。ある一定の時期にマドリッドで一緒になったってだけ。仕事の関係では結構会ってるけどね。本当に彼と話し合ったのは“遠足”に出たとき。彼と一緒に、“ディスコ・デ・ロス・ビェホス”(昔の人のレコード)っていう、彼のお気に入りのカンタオールについてのプロジェクトに取り組んだんだ。そのレコードでは、俺がレパトリーの歌詞を担当したんだ。残念ながら、ホセがこの企画に真剣に取り組もうとした頃にはもう手遅れだったんだ。
カマロンが好みだった昔のカンタオールは誰ですか?
彼はレコーディングした事のあるカンタオール達のほとんど全員と知り合いだった。彼の家にあったスタジオはすごいものだった。粘盤岩レコード、カセット...なんかがあって。マラガに奇妙なファンダンゴを唄う奴がいるってホセに言ったら、すぐに車でマラガに行っちゃうんだ。いつも彼が言ってたよ、母のフアナから全て学んだってね。ペルラ・デ・カディスも彼の人生にとって、とても大切な人物。その他には皆が知ってるマヌエル・トーレ、ティオ・ホセー・デ・パウラ、エル・チャケータ、エル・カナステーロ、ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス...
リストは長い。選曲するのは難しかった。カマロンに他のアルティスタの悪口言ってるのは聞いた事がない。いつもアルティスタ達のいい面ばかり探してた、いつも言ってたよ、「ティエー・ス・コシータ」ってね。(“何か持ってる”って言ってた)
現在のフラメンコにカマロンの生き方、麻薬の世界、が影響している事はありうるんでしょうか?
教育の問題のような気が俺にはするね、個人の選択の問題にね。俺は人間の最大の自由に賛成してる。人間には自分がどのような人間になりたいか、この人生で何をしたいかを自由に選ぶ権利がある。問題は、カマロンが伝説だから、彼の生き方が他人に影響したこともあったかも知れない。どこまで、そういった影響がこの人物/伝説の責任であるかはまだ定めなければいけないことだろうね。難しい、断定し辛いテーマだと思う。
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