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フラメンコの世界についての話です。7年間病気の為、仕事から離れていたんですが、フラメンコの世界は変りましたか?
病気以前にトーケは変りつつあるなって感じたね。ギターの進化はものすごいものだ。ギターはカンテとバイレのそばでなくとも生き延びていける楽器になったけど、昔は考えられなかったことだね。世界にはギターが上手ければ、弾きに上れる舞台は十分ある。パコ・デ・ルシア、ビセンテ・アミーゴ、カニサーレス、リケーニ、マノロ・サンルーカル...
カンテには誰かが現れるより、いなくなるほうが多かった。丁度今はヘレスの件がある、多分今現在、人口の割合にカンタオールの数の最も多い所だろうね。どこへ向かって行くんだろうか...

カルロス・レンセーロ
俺はバイレを一番奇妙に感じる。バイレ・フラメンコとバレーは違った踊り。バレーという言葉とフラメンコとの関係は、未だに分からないことの一つだよ。バイレはどこから生まれたかについて考えなければいけないだろうね。前もって考案されているものなのかどうか。誰が今のバイレをデザインしているのか、振付を担当しているのかをいつも考える。なぜならば、俺が家族のフィエスタ、洗礼式、結婚式に参加してるときやヒターノの友達と飲んでるとき、ギターがソレアを弾いてるときに突然、誰かが立ち上がって“パター”(ステップ、地面を足で打つこと)を披露し、また座る。その間、ギターとカンテは聴こえ続ける。こうして、違った瞬間がフィエスタの間に発生する。バイレ・ヒターノは瞬間的に発生し、身近なもの。俺に、エル・ティオ・トラガパネスが言ってた、「何かを知ってる奴はその知識を披露する、知らない奴は教える」ってね。この意味で、軽蔑的に学校のバイレといわれるものについて語れる。つまり、自らのバイレを持たず、教わったバイレを踊るということ。だから、こんなにたくさんフラメンコ・スタジオが増加してるんだ。バレーの振付にしてしまうなんて、クプレーをポル・ブレリアスで唄うようなもんだと思うね。
ダンサー(バイラリン)とバイラオールの間に境界線はあるんでしょうか?
そうだと思うけど、まだはっきりされていないテーマだね、はっきりされないで欲しいっていう人も大勢いるから。これを明らかにするというのは、どちらかの意見に賛成するということ。例えば、アントニオ・“エル・バイラリン”のケースがある。アントニオ・エル・バイラオールって彼のこと呼んでる人を聞いた事は無い。アントニオは、俺が知ってる限り、そうやって呼ばれてることを気にしたことは無かった。どちらのほうが難しいとか言ってるんじゃない、どちらも非常に難しいと思う。何が何かしっかり区別ができてなければいけない。アルティスタが受ける教育は多ければ多いほど良いって言われるんだけどね。
現在のカンタオール、バイラオール、ギタリスタを一人づつ。
ギタリストは何人も挙げられるね、ビセンテ・アミーゴ、カニサーレス、リケーニ...
“モラオ”の家族からは、モライート、ディエゴ・デ・モラオ。“パリージャ”家も。
本当に唯一違ったトーケを披露するのはモロンだね。ディエゴ・デ・モロンがいるけど、まあ、あまり安定したギタリストではないんだ、日によって大分変るから。カンテに関しては、いろいろ書いたけど、俺のアイドルには全くというぐらい書いてない。ペラーテ、フェルナンダ・デ・ウトレーラ、まだ生きてるチョコラーテなんかの為に書きたかったね。バイレに関して、俺は完全に危機に陥ってる。マヌエラ・カラスコを見たの覚えてるけど、部屋に閉じこもってソレアのカンテとバイレを見なければいけなかったら、ディエゴ・デル・ガストール、フェルナンダ・デ・ウトレーラ、ペラーテ、そして、アンヘリータ・バルガスを選ぶね。イシドロ・バルガスもとても明白なバイラオールのような気がする。最近見た中では、あまり見てないんだけど、アントニオ・エル・ピパ。立派なバイラオール、それに本物のヒターノ。エバ・ジェルバブエナのバイレからは、俺が見た限り、とても上手いバイラオーラだってことが直覚できたね。だけど、彼女が創作する振付は、エバのバイレに利を与えていない気がする。バイレだけじゃなくて、舞台背景、舞踊団全体を守らなければいけない...
全て一人でやるには無理なような気がする。これ以上は名前を挙げない、嫌いだかからじゃなくて、彼らのやっていることが行われている環境では、俺には興味がわかないから。
最後に、貴方の本に載っている、チャールズ・ブコウスキの詩の一部分を暗誦してください。
Y cuando llegue el tiempo de
morir
(死ぬ時が来たら)
no seas egoísta
(わがまま言うな)
considera que el precio no es alto y hacia dónde vas
(払わなければいけない値段は高くない、どこに行くかを考えれば)
ni una señal de vergüenza o fracaso
(恥ずかしさや挫折を見せない)
ni una llamada al dolor
(苦痛さえ思い起こさない)
mientras el viento resuena desde el mar
(風の音が海辺から聞こえる限り)
y el tiempo pasa inundando tus huesos con una paz
suave
(時は、骨に穏やかな平和をしみこませながら経っていく)
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