セラニート、ギタリスタ.インタビュー
“今のフラメンコの豊かさはギターのせい”
シルビア・カラド.マドリッド、2004年9月
ギターより笑顔。セラニートの活力は人にうつる。パコ・デ・ルシア、マノロ・サンルーカルの二人と並び、三十年以上前にフラメンコギターの革命にあたったマドリッド出身のギタリストである彼は、内面から新しくなっていくフラメンコを支持しているが、他のジャンルとの出会いも避けることは無い、フュージョンである事がはっきりしていれば。その結果が彼のフラメンコギターとキューバの室内楽団との出会い。“スエニョス・デ・イダ・イ・ブエルタ”という作品名で披露されるこのスペクタクルは、ビエナル・デ・セビージャでの初演の後、ツアーが予定されている。半世紀に及ぶプロ暦の中でのもう一つのプロジョクト。次の世代に視線を注ぐ。すばらしいギタリスト達がいることは良く知っているが、「どういったを貢献をするかを待たなけらば」
と。師匠からのアドバイスは、個性的であること。若手のギタリストには、ソロギタリストになる前に、フラメンコについての知識を深めることと、先輩に対する尊敬を忘れないこと。「サビーカスが初めて、マラガの、セマナ・デ・エストゥディオス・フラメンコスに参加するためにスペインに帰ってきた時なんか、多分俺は24歳ぐらいだったと思うけど、朝の七時に空港まで行ったんだ、彼のギターを運ぶ為にね」

スエニョス・デ・イダ・イ・ブエルタの誕生について語ってください。
アルバムの録音はフンダション・アウトールの提案だった。何かしらやろうっていう話しをしてた。俺の経歴をふり返ってみようかと最初は思ってたんだけど、キューバとスペインの何かをやらないかって提案されたんだ。アイデアは良いと思ったんだけど、問題は、誰と一緒にやるかだった。カメラタ・ロメウの名前を聞いた瞬間、プロジェクトに参加したくなった...すごくかわいいし、演奏もうまい(笑)。
彼女達は室内楽団で、作曲と監督を担当しているセニダ・ロメウは昔から音楽に関係してきた長い歴史を持つ家族の一員。
結果的にはフラメンコが、クラシックと南米音楽と出会うことになりました...
その通り。キューバについて考える時、まず頭に浮かぶのはリズムだけど、このオーケストラのレベルの高さと、俺自身の音楽とフラメンコに対する姿勢のせいで、違った雰囲気のテーマを選び始めたんだ...すばらしいテーマをね。フラメンコな感覚を与えた昔の音楽という形式で、彼女達が参加できるように、長いイントロを構成したんだ。だけど、カンタオールがグゥアヒーラを唄ってくれる時は、フラメンコ本来の、フラメンコなにがさで唄う、しかし、キューバの曲だし、雰囲気はやっぱりやしの木とかがある環境を思い出してしまうんだ、カリブ海のね。俺のフラメンコをキューバ化させたんだ。
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セラニート. |
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スペクタクルとしては?
やっぱり違うね、ずっと幅広くなる。アルバムにフューチャーしていない曲を何曲も演湊するんだ。カメレタ・ロメウの1曲で幕を開けて、バイラオーラのチャロ・エスピーノが煙とうすぎぬの間から登場する...夢かのようにね、幻想的なことをするんだ。彼女が終わったら、バイラオールのアンヘル・ムニョスが力の動きで登場、彼女がいなくなる。俺が出てくるまで動かずにいて、穏やかなメロディーをプレイし始め、勢いに乗ってきたら、一緒にさパテアードを開始。これで観客に最初から、キューバとスペインのフュージョンだって事が分かるようになってるんだ、この後にはもう台本が無いから...それぞれの文化の間で生まれる愛情に支えられてる、違った音楽との間にね。その後にオーケストラが弾き始め、ギターと統合する、フラメンコなフレーズを俺が弾いて...かなり完全で徹底した多種多様なスペクタクルだから、好みの違った観客が楽しめるはず。何でも含まれてるから、誰をも期待はずれにさせることは無いと思う。
フラメンコとキューバ音楽の間にどういった関係を見出したんですか?
音楽の感じ方とリズムの力。これは多分フラメンコだとは言えないけど、フラメンコって言葉を、本当のフラメンコについての定義を混乱させたり、フラメンコじゃない音楽について使ったりするのは、個人的に癪に障る。ジャズフラメンコフュージョン??...あんたが弾いてる音楽はフラメンコでもジャズもない。俺もそういうプロジェクトに参加したこと有るけど、フラメンコジャズ弾いてるなんて言おうと思ったことは無いね。今日までまだフラメンコジャズなんて存在したこと無い。様々な形で挑戦していかれてるし、たぶん大事な音楽になるかもしれないけど、今のところはまだだね。フラメンコはフラメンコ、他のジャンルとの経験から得る知識はフラメンコを豊かにしていくもの。未だかってジャジストがフラメンコを弾いてるの観たことない。お互いに接近?それは有るね。ヌエボ・フラメンコ(ニューフラメンコ)とか言う名前で呼ばれてる...俺はあまり聴かないんだけど、フラメンコ風な音楽は昔からあったし、トリアナとか、ラ・バルベリーア・デル・スールみたいなすばらしいバンドもある。ケタマが登場した時も同じこと。あれこそフラメンコ風キューバ音楽だった!!(笑)。フラメンコに聴こえるのは、諧調とルーツのせい。だからこういったケースはフラメンコだって言わない、その代わりに...フュージョンだって言うんだ。俺がソレアを弾く時がフラメンコを弾いてる時さ。
オーソドックスなフラメンコは、アメリカからの影響を軽蔑するようですが...
フラメンコ達の中でもあまりフラメンコっぽくないって思われたりもしてるけど、ビダリタなんて、すぐにアルゼンチンを思い起こす、アルゼンチンのミロンガだけど、スペイン系のルーツが混ざってるからね。今回、アルバムのタイトルについて考えてた時、イダ・イ・ブエルタ(行き帰り)って言うのは使いこなされてるから、魔法の言葉、スエニョス(夢)を加えようって思いついたんだ、アメリカに行ってしまった人、スペインに来た人、アメリカに残したスペインのルーツとか、北アメリカ人に追い出されてスペインに戻ってきた人々なんかを懐かしく思い起こすような雰囲気を加えたかったんだ。
フラメンコを進化させるためには、他のジャンルを探る必要が有ると思いますか、それとも、フラメンコの内面から新たなる進歩が可能なんでしょうか?
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| "今のフラメンコの豊かさは主にギターのせいであることには間違いないね。" |
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もちろん内面から。ファージャなんか聴くと、フラメンコを甦らせてたのが分かる。あれ以上フラメンコであることはできない。コードに基づいてたんだ。例えば、“ファルーカ・デル・モリネーロ”でなんかはナチュラルなミを聴いてるんだ、ギターの六弦で弾かれるコードと一緒にね。ファになったときもナチュラルなシとミが聴こえ続ける...諧調からしてみればこれは正しくないけど、八十年前のギタリストがやっていたこと。指で駒をしなかったから、同じポジションをそのまま下ろしてたんだ。だけど、諧調にとっては多大な発見。もちろん他の音楽から、フラメンコの中できれいに聴こえるようなアイデアを発見する事が無いってわけじゃない。ジャズの怪物のチック・コリアが、スペイン音楽を弾いたりする時なんか、彼が使う諧調から学ぶことは非常に多い。そこで得たアイデアをフラメンコに持っていって、自分のルーツを維持する事ができれば、豊かにできる。今のフラメンコの豊かさは主にギターのせいであることには間違いないね。
トマティートによれば、他の音楽から学んで、自分のモノにすることは多くても、フラメンコに聴こえ続けるのが難しいんだって言ってくれました...
そうそう、その通りだね。フラメンコ風なテーマを作曲して、伴奏を加えれば何とか鳴るけど、ソレア、セギリージャ、タランタ本来の味が出ているソレア、セギリージャ、タランタ、しかも新しく聴こえるようにするっていうのは...それがフラメンコギタリスト達の進歩の仕方。ラモン・モントージャからルイス・ジャンセ、その後サビーカス、二―ニョ・リカルド、マノロ・デ・ウエルバ...進歩し続けていったんだ。その後に俺達の世代が来た。パコ・デ・ルシア、マノロ・サンルーカルと俺自身が過去のギタリスト達からの遺産を増加し、さらに豊かにしていってる。まあ、俺達の先輩達のフラメンコの感じ方、フラメンコさや彼等のアルテを上回ることは不可能。俺の30年前のソレアなんか今聴けば違う響きさ。サビーカスが言ってたよ、パコと俺について「この子達は俺と同じことを弾くけど、二回弾いてる」ってね(笑)。世の中変わっていくから発生していく事さ、社会状況に押されて新しい道を探る必要になるんだ。
そういった新しい道を探ろうという気がかりを新世代のギタリスト達に見ますか?
今すばらしいギタリスト達の世代だね、まあ、そんなに若くない人もいるけど、皆40歳だから。俺達が60歳だから、20歳違いだけど、俺達が彼等を昇進させてきたんだ...皆俺の所来て何かしら学んでいった。それに俺は若者のファンだし、成功する確率も多いと思う。もう一世代新しいギタリスト達もいる。フェスティバルなんか行けばすぐ分かるよ。

セラニート. |
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だけど大事な事が一つある。俺達、パコ、マノロ、セラニートの三人、がやってのけたとても重要な事は、一人一人違った独自のスタイルを生み出したってこと。フラメンコは自らに忠実でありながらも、違った形で表現できるっていう証明。パコと俺のトーケは全然違うし、マノロとも違う。三種の学派を築いたんだ。今のギタリスト達、レベルは非常に高いけど、似たようなトーケのギタリストがたくさんいるって事が気になるな。
それに、今は先輩のギタリスト達に対する敬意が、昔と比べて非常に少なくなった。世の中そうなったからかもしれないけど。例えば俺なんか、サビーカスが初めて、マラガの、セマナ・デ・エストゥディオス・フラメンコスに参加するためにスペインに帰ってきた時、多分俺は24歳ぐらいだったと思うけど、朝の七時に空港まで行ったよ、彼のギターを運ぶ為でも、何でもいいから彼の為に何かやるつもりだった。その敬意が俺達の特徴だった。パコのサビーカスと二―ニョ・リカルドに対する敬意なんか見てごらん...俺はそんな敬意を感じること無いね、弟子からじゃなければ。
さっき言った様に、今はすばらしいギタリスト達の世代だね。ホセ・アントニオ・ロドリゲスのギターなんか天使のトーケ、ビセンテ・アミーゴ、マノロ・フランコ、ヘラルド・ヌーニェスなんて怪物さ...どういった貢献をするかを待たなけらばね。
まだ何も貢献していないんでしょうか?
もちろん長期で見なければ。何をフラメンコに与えたか、行き過ぎずに。俺達が築いたスタイル、ギターの難点...パコはジャズの世界に入って行った、マノロは神秘的、俺は力強いクラシックに興味を持った。俺のスタイルは、はっきりとした一人のマエストロの影響を受けてないし、違った音楽が頭の中にあったことのせいでもあるね。一人一人それぞれの道を歩んだけど、すべてフラメンコ。俺のソレアを聴けばフラメンコだし、パコのもフラメンコ、マノロのソレアなんてなんという優しさか...皆そこから学んだ。そして俺は皆から学んだんだ。
| パコ・デ・ルシア.マノロ・サンルーカル.セラニート. |
パコ・デ・ルシアはあなたの世代のギタリスト達をかげらせてしまったと思いますか?
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| "パコは俺達を沈めたんじゃない、逆だよ。彼のフラメンコの弾き方、フラメンコの世界を広げたことなんかは皆にとって多大な利益となった。" |
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かげらせてしまったわけじゃない、モーツァルトとサリエリの時期と同じようにね。俺にはそういう経験が得る。俺は昔からパコの大ファンだよ。俺は彼より年上だから、先にリサイタルを始めたんだ、まあ自慢にはならないけどね、4歳と半年彼より年上だから...彼は5年上だっていうけど嘘なんだ(笑)。この間一緒にコルドバで夕食したよ。彼のコンサートの後でね、そう言えばすばらしいコンサートだったな...パコは俺に、おまえはとんでもない老人だって、ふざけて言ってたよ。こういう冗談は子供の頃から分かち合ってきてるんだ。彼の親父は俺と一緒ならパコが遊びに出るのを認めてた、多分俺のことが真面目に見えたんじゃないかな。アントニオ(パコの父)は年の差にもかかわらず、いい友達だった。“ミサ・フラメンカ”を創った時なんか、パコの代わりに俺を呼んでくれたんだ。俺と一緒に弾いてるのはパコの兄貴のラモン・デ・アルへシーラス。嘘じゃないよ、他の奴等とは遊ばせなかったんだ。パコは9時間もギター弾いてたんだよ、親父の前でね。アントニオはパコに徹底的にギターを勉強させてた。
パコの親父は上手いギタリストではなかったんだけど、その代わりに良いマエストロだった。フラメンコについて本当に良く知ってた、それで生きてきたからね。俺たちは互いに評価し、尊重しあってる友達さ。パコは俺達よりラッキーだったんじゃなくて、自分の価値を証明する機会に出会えう事ができたんだ、もしかしたら俺はそういった機会に出会えなかったのかもしれない。出会えてたら、絶対に期待に答えられたはずさ。パコは俺達を沈めたんじゃない、逆だよ。彼のフラメンコの弾き方、フラメンコの世界を広げたことなんかは皆にとって多大な利益となった。俺が世界を3周したなら、彼は6周してる。俺たちは正に世界へ向けてのフラメンコの大使、パコはもっと息が長かったけどね。マノロは旅行が嫌いだけど俺は大好きさ。明日ラ・ハバナにカメレタ・ロメウの女の子達との練習に行くんだ。ギター弾くのを教えるのは好きじゃないんだ。俺は活動的な舞台の上でのフラメンコが好きだから。俺の世代で、カンテとバイレの為にギターを持って舞台に上ったのは俺が最初、その後はソロギタリストとして...
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