ビセンテ・ソト・ソルデーラ
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ビセンテ・ソト・ソルデーラ、カンタオール.インタビュー

“俺は思考で唄う”

シルビア・カラド.マドリッド、2004年12月

ビセンテ・ソト・ソルデーラは伝えたい気持ちに満ちている。方法はリズミックなフラメンコ、フェステーロな生き生きしたフラメンコ。“エスタル・アレグレ”は明確に、最も外交的なフラメンコスタイルを特徴とした作品。ついでに、ブレリアス、タンゴス、アレグリアスのマエストラたち、アデラ・ラ・チャケータ、ラ・レポンパ、ラ・ペルラへのオメナヘでもある。ソルデーラ・デ・ヘレスの息子の“真面目”なカンタオールとしての経歴は、多数のソロ・アルバムで証明されている。作品を“専門化”させる事が可能な地位にある彼のモットーは、彼の血統からして自然な起源を見失わず、現代のフラメンコファンの為に作品の“響”を新たにしていくこと。目標を果たしているだけではなく、経験から歌詞を生み出してもいる。マノリート・デ・マリーア同様、「思い出があるから」唄うと言う彼、豊かな経験を誇る人物...しかもとてもフラメンコな人生の結果。

真面目なスタイルを取り入れないアルバムを創るというアイデアはどのように発生したんですか?

生き生きとしたフラメンコの活力をとらえたかったからなんだ。今はタンゴスやブレリアスを聴きたい人のほうが確実に多い。俺たちが昔からやってきたカンテを時代に合った形にしようとしたのさ。タンゴスではラ・レポンパ、ブレリアではアデラ・ラ・チャケータ、アレグリアスではラ・ペルラ・デ・カディス...などを思い起こしながらね。偉大なカンタオールたちへのオメナヘ、学んだ源への思い出をとらえてるんだ。もちろん、俺の歌詞とスタイルでね。


ビセンテ・ソト・ソルデーラ
 
   

全作では詩人の歌詞を唄っていたんですが、この作品の歌詞は自作ですね...

このアルバムでは俺の物事を自覚してるんだ。俺は活力のある、リズミックなカンタオールさ、前作で証明されてることだと思うけど、今回はタイトルのアイデアを成し遂げてると思う、“陽気でいる”(エスタル・アレグレ)ってことをね。

特別な気分をとらえているんですか?

アルバムのレコーディング中にはそうだったね。今は母の問題があったからちょっと落ち込んでるけど...  レコーディング中は自信満々で上機嫌だったよ、今感じてる悲しさはなかった。アルバムは助けになる、特にライブで唄うときにね。

歌詞以外にも、プロダクションにはホセーテ・オルドーニェスが参加しています。どういった意味での参加なんでしょうか?

楽器を乱用してるような気がする、物事はハッキリしてるんだけどね。タンゴスやブレリアスを唄うときはリズムは最初から顕在。ソニケーテ(フラメンコのリズム感覚)たっぷりのパルマといいギターのアイレ(フラメンコな雰囲気)があるときは表現したいことがうつし出される、それだけで十分さ。

三本のヘレスギターを伴奏としています。その音が必要なんですか?

俺のアルバムにはその音が常に存在してる。俺はモライート・チコとレコーディングした最初のカンタオールの一人。俺とは2つか3つのレコーディングがあるし、俺のアルバムにはいつも参加してる。マノリト・パリージャも俺の大好きなギターだし、ホセ・マリア・モレーロも俺と通常働いてる、ディエゴ・デ・モラオも...  全てヘレスのギターさ、俺のアイレは地元のサウンドと一緒に表現されるからね。一人一人違ったニュアンスで貢献してる。ディエゴはモダンなアイレ、ちょっと弾くだけですぐ分かる、マノリト・パリージャも同じ。モライートはもうちょっと昔の雰囲気だね。俺たちはもうオールドスクールに付属し始めてるんだ、俺たちの息子が弾き始めてる。だけど俺は全てを吸収しようとしてるさ、新世代のスタイルを、血に流れてる起源を忘れずにね。

歌詞を書くときは、何にインスパイアされるんですか?

経験をよく唄うね。生きたこと、愛についてももちろん。例えばアルバムの一曲目はアデラ・ラ・チャケータについての美しい思い出“サレ・ラ・ルナ”。まだ若い頃、ロス・カナステーロスで働き始めてたときに長いつきあいになって、その後もいろんなスペクタクルで再び会った人なんだ。あまり知られなかった女性なんだけど、すばらしいアルティスタだったんだ。天子のように唄ってたよ。彼女に愛情を込めて創ったテーマさ。

カンタオール自身が自らの歌詞を唄うのはあまり常習的ではありませんが...

書く為には良い状態でいる事が大切、経験ももちろん大切。人生の経験があることは何かを語る為に必要な原点。思い出はいつも何か与えてくれる。そういった思い出を使わないと...  そういった意味でマノロ・カラコルに知り会えたことはラッキーなことだよ、彼の家で働けたこと、彼の話を聞けたこと...  ラ・ペルラ、アデラ・ラ・チャケータの他にもある世代のフラメンコの重要人物に会えたことは本当にラッキーな出来事さ。眠ってるときにそういったドゥエンデが目を覚ましに来るんだ。俺は思考で唄う。何で唄うんだって聞かれる度にマノリト・デ・マルチェナが言ってた、「俺は思い出があるから唄う」ってね。俺も同じさ。

 

Vicente Soto 'Sordera'
   

前作でペッソアやホセ・イエロなどの詩とたもった関係は新しい世界への扉を開くことになたんですか?

フラメンコにとってはとても大切なことだと思う。ある詩人たちに俺のオメナヘを捧げられたことはとっても誇りに思ってる。あの時期にはすばらしかったフェルナンド・ペッソアへのアルバムから興味を持ち始めたんだ、常に俺たちのフラメンコの起源から外れずにね。大事にしなきゃいけないこと、フラメンコは偉大なカテゴリの音楽だから彼らの作品と一緒にすると信じられない美しさになる。フェルナンド・ペッソアのテキストやラモン・マリア・デル・バジェ・インクランのテキスト、彼らのような偉大な詩人の作品ならどれでも、原型カンテと一緒にすれば、文学と俺たちの文化を備えた音楽との間にすばらしい宝が生まれるんだ。

フラメンコと詩の出会いは難しいことがありそうなんですが...もしかしたら無理をしているんではないでしょうか?

ラッキーなことに俺はリズミックなカンタオールだから、俺にとっては、コンパスやリズム感を持ってないカンタオールたちと違って、すごく簡単なことなんだ。正確でリズミックな構成の詩に出会うと、簡単に感じるね。彼らと気が合う分ラッキーなんだ。

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