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エバ・ジェルバブエナ
バイオグラフィー、ディスコグラフィア、Real Audioと読者からのコメント


 



エバ・ジェルバブエナ.“ア・クアトロ・ボセス”
第23回 ビエナル・デ・フラメンコ・デ・セビージャ

詩舞踊

シルビア・カラド.2004年、9月18日

“ア・クアトロ・ボセス”.エバ・ジェルバブエナ:バイレ、振付け、舞台監督.パコ・ハラナ:作曲、ギター.メルセデス・デ・コルドバ、マリア・モレーノ、ソニア・ポベーダ、ラ・チョニ、エステファニア・クエバス、ルイス・ミゲル・ゴンサレス、フアン・マヌエル・スラノ、エドゥアルド・ゲレーロ、アマドル・ロハス、アレハンドロ・ロドリゲス、エドゥアルド・ロサノ:バイレ.ペペ・デ・プーラ、セグンド・ファルコン、エンリケ・ソト:カンテ.ミゲル・ポベーダ:スペシャルゲスト(カンテ).アントニオ・コロネル、エフライン・トーロ:パーカッション.
イグナシオ・ビデチェア:サックス、フルート.
テアトロ・デ・ラ・マエストランサ.セビージャ、2004年、9月18日.21:00時


エバ・ジェルバブエナ
 

 

エバ・ジェルバブエナの内面にこもる世界はバイレをはるかに超えている。その世界を分かち合う為に、トランス常体に陥る(陥らされる)彼女のバイレをも犠牲にし、演劇舞踊のかたちで披露される。“ア・クアトロ・ボセス”は四人の詩人に基づいた作品。彼等の人生と作品(詩)に、にアイデアを見出したのはもちろん、詩がバイレになり、バイレが詩になるといった抽象的なコンセプトがメイン。バイレだけでは無く、自由にでは有るものの、振付け、ライトアップ、舞台背景、音楽などもが韻を踏む...肉体の努力だけではなく、エバの知的努力すべてが、最初から最後まで、スペクタクルの名称にふさわしい作品の創作に注がれている。多分、“ラ・ボス・デル・シレンシオ”で観ることのできた、超人的で、彼女だけが目立ってしまうようなソレアでのバイレに出会えないのはそのせいかも知れない。もちろん、エバが踊らないわけでも、彼女のバイレのクオリティーが落ちたわけでもない。エバのバイレの質の高さついて語るのはわかりきったことについて話すこと。ただ、エネルギーと感情が対等に配分されているということだけである。

“5ムヘーレス5”と同様、この作品も開場に伴って開始され、劇場を埋め尽くしていた観客を最初から巻き込んだ。カウントダウンを場内にアナウンスする声は詩人の様。いくつかのオレンジが置かれた舞台上には、2人の人物によるシーンが繰り広げられている。畑。ゲーム。プロローグ。場面や幕というより、詩の節にちかい。一節目は“ジャント・デ・マドレス”(母の嘆き)。ほとんど動かない、音を立てない、聞こえない嘆き。白の長いシャツを着たエバ・ジェルバブエナの動きはスローモーション。戯れは大人の靴を履こうとすることにある。聴こえてくるピアノの音はドビュッシーの“月の光”。踊りを崩したバイレ。集団の風采。足の動きも、振付けもシンプルだが、賢明に増加されていく、音楽的に。静けさは偏在。セラーナ。ぺぺ・デ・プーラの古い響きのカンテ。同時に繰り広げられる違ったアクション。ロルカ風の寡婦を思い起こす衣装を着たエバ・ジェルバブエナ、踊りと同じ重要性を感じさせるぺぺのカンテがエバのバイレと主役を争う...どの詩人の歌詞であるかを観客に考えさせる為かのように、バイレと舞台上で主役を争うカンテ、という構成を提案しているようだ。少し後ろの右側にはギターを弾くパコ・ハラナの姿が。カンテ。バイレ  ポル シギリージャでは濃密なバイレが描かれる。彼女の足とエフライン・トロの手はパーカッションそのもの。トナー。カンタオールとバイラオーラ、同時に地面に膝を突く。天才的なきらめきが...もう一つ。

二節目。“ベリントニア、3”。左後半に詩人達の出会いが透き通って見える。ミゲル・ポベーダ、セグンド・ファルコン、エンリケ・ソト、ペペ・デ・プーラの四人によるファンダンゴ。“社会不正”について唄われる。しかし、通常のフラメンコで使用される詩的な形ででは無く、社会不正という言葉をはっきりと発音して。非フラメンコ、非音楽。四人の詩人と、名の無い庶民の詩人と張り合おうという大胆な提案はうまくいかない。もう一節、ソレア・ポル・ブレリアス、“デスデ・ニーニョス”。四人の男が踊る。音と、描かれる動きに注目。赤い平地の衣装で彼等と交替で踊るエバ。穏やかに流れる音楽は暗示的。数ヶ月前に新しくなった舞踊団、フェスティバル・デ・モンマルサンの時とは違って、機会の為に完璧に指導されている。今夜初の拍手は彼等の為となった。


エバ・ジェルバブエナ

 

枯葉が舞う。女の子がベットの縁で遊んでいる。バイラオーラはそこに居るが、現れない。フアン・カルロス・ロメーロがロルカの“アセシナト”の為に作曲したテーマを、エンリケ・モレンテのバージョンで、パコ・ハラナが演奏。カンテはミゲル・ポベーダ。後ろで女の子は白い貴婦人の衣装をまとう。舞台の前半では、詩人カンタオールが感情バイラオーラに唄いかける。対立した振り子のように動く。彼女が彼の口をふさぐかのように彼の口に手を当てる。天才的。清掃夫が詩人の足元に枯葉を寄せる。白の一列。黒の一列。チェスを躍っている。ティエントス/タンゴス。出産の詩がカンテの叫びに軋む。舞踊団が繰り広げる振付けは創造的で個性的...この課題にても進歩を感じさせるエバ・ジェルバブエナ、乱れたヘアスタイル、シャツとズボンという醜美学。ブレリアの詩句は“アオラ・マス・ケ・ヌンカ”。芸術バイレ。凍った蹴り。停止レマーテ。足には悪魔が取り付いたよう。カーブを描いた上半身の回転は重力を否定する。三度目の正直、今こそ詩の見所。“フイ  ピエドラ イ ペルディ ミ セントロ”(石だった我は、自らの中心を失った)。死。詩人が一人残る。“ケ ラーロ  ケ メ ジャメ フェデリコ”(なぜフェデリコが呼んでくるんだろう)。作品の激しさと深さには震撼せざるを得ない。オーレの数々。子供のように詩を読む子供の声が聞こえる。“メ  アン トライード ウナ カラコーラ”(貝殻を持ってきてくれた)。“ジョ ブエロ ポル ミス アラス、デハメ  ボルベール”(我の羽を求め帰る、帰らせてくれ)。清掃夫は仕事を終える、言葉を消すかのように。白紙。デュエットで子守唄。不在。大理石。わずかなギターの響き。

終わっても問題なかっただろうが、まだ、四節目が残っている、エピローグ節の“フィエラ メンテ アンヘル”(すさまじき天使に)。四人のカンタオール、四人の詩人、右側に整列し座っている。中心になる柱が30枚のシャツで飾られているのが見え始める。アレグリアス。白いレースのフリル付きで、古い金色の糊付き衣装という姿でエバが登場。カンフルの香り。バイレの伝統を掴み、正統派の縁を歩む。個性的。婦人。味わいながら。長い間籠っていた喝采はうなり声のよう。皆、動かずに前方を見る。エバ・ジェルバブエナは目を瞑っている。詩人たちは、定義的な詩を唄いながら舞台から出て行く。彼女だけが残り、前方に一歩。“エステ  エス ミ シティオ イ ノ ロ カンビオ ポル ニングーノ。カイー。ノ メ アッレピエント”(ここが私の場所、絶対に取り替えない。死んだ。後悔しない。)  終。

“ミエントラス アジャ エン エル ムンド ウナ パラブラ、アブラー ポエシーア”(この世に一言でも言葉が残っている限り、詩が有るであろう)”。この世に動作が一つでも残っている限り、バイレが存在するであろう。

flamencojapan@flamenco-world.com

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